山瀬光一の日常-3

PM 4:38

 駅前のペデストリアンデッキには、学校帰りに街に繰り出す高校生の姿がちらほらと増えてきた。
 現在時刻は四時近く。
 つまり桜くんの下校時刻だ。
 龍介くんの家か、あるいは千羽駅前のどこかに遊びに来ようと考える時間。今日、この近くで桜くんに会える可能性はかなり高い。
 スマホで二、三確認をとり、待ちぶせすること三〇分。予想通り桜くんは、龍介くんと……もう一人を伴ってやって来た。人混みに紛れて、少し後ろから付いていく。
『豊洲金蛸』の列に並んだ三人の後ろに、さり気なく立つ。
「じゃあ彰人って北海道にいたことあるのか」
「あれは結構長かったな……二年?」
「長いのかそれ」
 ふとこちらを見た龍介くんがびくりと飛び上がる。つられてようやく俺に気がついた桜くんが心底嫌そうな顔をこちらに向けた。
「奇遇だね、桜くん」
「……なんでここにいるんだよ」
 ほら、と黄色いビニール袋を軽く掲げる。
「ドンキに買い物来たついでだよ。無性にクロワッサンたい焼きが食べたくなってね」
「よりによってなんでピンポイントで被るんだよ……」
「偶然だって。今日はなんにもする気はないよ」
「どうだか」
 そんな偶然が起こるはずがないと怪しむような視線二つと、当惑したような視線が一つ。
「そんなに信じられないならいいんだよ? 君達が一番後ろに並び直して、俺との話を打ち切るんでも」
 俺の後ろにはちらほらと人が並び始めていた。
「チッ」
 顔を盛大に歪めて桜くんが舌打ちをする。
 その反応に頬を緩めていると、当惑したような視線に気がつく。俺の視線をやや上に上げる。
「その制服月兜高校のだよね? 学校離れてるのに桜くんと仲いいんだ」
「……そういうアンタも。どう見ても同い年や同じ学校には見えないけどな」
「強いて言えば先輩かな。君のことはなんて呼べばいい?」
「俺は、」
「はいストップ」
 桜くんが割って入る。
「絶対名乗るなよ、コイツに名前を知られると魂を抜かれる」
「人をダゲレオタイプのカメラみたいに言わないで欲しいな」
 列は妙に進まない。しびれを切らして一人が列から抜けたが、それだけだ。
「山瀬も。……わかってるな?」
「言われなくとも」
 顔をしかめた桜くんに笑顔を返した丁度その時、列の先頭の客がとんでもない量のたこ焼きとたい焼きを抱えて離れる。以降は一人、二人と、今までのペースが嘘のように客が動き始めた。
「クロワッサンたい焼き3つ」
 桜くんがまとめて会計し、注文通りのものを受け取る。
「……それじゃ」
「ふふ、またね」
 一瞬嫌そうな表情を残して、桜くんはRARCOの方に歩み去っていった。
「クロワッサンたい焼き1つ」
 同じように注文すると、程なくして焼き立てが紙に包まれて渡される。向かうのは桜くん達とは正反対の方向だ。
 桜くんに会いたいという当初の目的は達成できた。期せずして、もう一つの目的も。
「平坂彰人……ね」
 実際に顔を見るのは今日が初めてだ。改めてフルネームを口に出すと、厭わしさが思ったよりも早く胸中に満ちた。
「どうしてくれようかな」
 ばり、とたい焼きの頭を食い破る。
 先週、桜くんとの待ち合わせ時間直前を狙って平坂彰人にけしかけた連中は瞬殺された。仕掛け主がわからないような遠回しなやり口にした結果実力者を厳選出来なかったのは反省点だ。……にしても、酷い襲撃だった。返り討ちどころか、最早誰が仕掛けた側なのか全くわからない程の死屍累々。月兜高校最強、あるいは千羽市最強の称号は、あながち誇張でもないのかもしれない。
 龍介くんはまだいい。桜くんの揺さぶりにとてもよく使える。そして本人が翻弄されている様も、そこそこ面白い。
 けれども平坂彰人はダメだ。ただただ邪魔だ。全く以て用途がない。その癖俺への警戒心は一級。同じ障害物でもまだブロック塀の方がマシだ。そもそもどうして桜くんに近づいたのか。
 生地が落ちるのは一旦気にせず、腹の方から徐々に胃に収めていく。
 とはいえ……実は大して難しい話でもないかもしれない。
 ただでさえ平坂彰人周辺の情勢は激動している。誰が呼んだか『月兜高校最強』の称号は、前時代的なアウトローを引きつけて止まない。放っておいても、火種のどれかは勝手に着火して平坂彰人を暴力の渦に引き込んでいる。
 静観しているだけで、勝手に行き着くところまで行く。手を出してはいけない界隈からの喧嘩を買ってくれれば完璧だ。
 しばらくは挑発すらしないでおこう。ただの「柄本桜の自称先輩」としか映らない存在でいよう。平坂彰人の身にどんなに酷いことが降りかかろうとも俺は容疑者にすらならず、気がつけば彼は自業自得で桜くんとは遠いところにいる自分に気がつく。ちょっかいを出すのは、このシナリオで上手くいくか確かめた後で良い。
 日が落ちて、空がほんの数瞬の紫に染まる。
 最後の一欠を口に収め、服についたクロワッサン生地を払った。