山瀬光一の日常-2

PM 02:11

 駅前の『驚安の殿堂』に足を踏み入れる。一階の奥、家電売場を目指して店内を歩いていると、男女入り混じった高校生の集団が目についた。思い思いに着崩された制服は近所の高校のものだ。
 なんとはなしに眺める。高校生達はイヤホンの棚の前で、妙に固まって立っていた。平日のこの時間ならまだしも、他の客がいたら間違いなく邪魔になりそうだ。
 スマホを片手に興味深く観察していると、やがて四人が自然な風を装いながら棚の前から離れていく。
「だから俺言ったんじゃん、マジでゲットーの奴ら底辺すぎてヤバいって――」
 四人のうちの一人、オーバーアクション気味に話しながらよそ見していた男子生徒が俺にぶつかってきた。
 反射的に睨みつけてきた好戦的な眼光が目測を外して俺の首元を見る。10センチ上方修正。視線が噛み合った途端、彼の戦意が潰えるのが目に見えた。
 俺ほどわかりやすく見た目で判断出来る相手も珍しいだろう。胸元まである金髪に布地やベルトを必要以上に使っている黒服、多量のピアス、今日は琥珀色のカラコン。害意がなくても警戒される。害意があれば警戒される。笑顔で近づけばもちろん警戒される。桜くんには「雀蜂かお前は」と言われたことがある。的を射た評価だが心外だ。環境適合と趣味嗜好。たまたま現在の状態が似通っているだけで、コンセプトもプロセスも違う。
 尻尾を丸めて後ずさる男子から視線を逸らし、改めて目的の棚の方に向かう。
「――――ッべー、何あいつ、どこのV系?」
 何か聞こえたような気もするが、気にせずにスマホのアドレス帳を漁る。『蒼崎』の名前はすぐに見つかった。
 コール四回で相手に繋がる。
『山瀬? えっ珍しくない? なんか良いものでも手に入れたの?』
 少年のようにも聞こえる男の声。
「まあね。さっき撮った」
『ちょっと取ってくるねー?』
 不正アクセスをさっくり宣言した蒼崎を他所に目当ての棚の前に到達する。これみよがしの打鍵音を左耳で聞きながら、空いた右手で一番安い衣類スチーマーの箱をひっくり返して機能を見る。
『一通り浚ってきたけどさぁ……なんで同じDKの写真ばっかこんな沢山あるの?』
「そっちじゃなくて今日撮ったほうね」
『いいんだけどね、別に。性癖なんて人それぞれだしいいんだけどさ……そんで? これ、万引現場の動画? 相変わらず趣味悪いねー?』
「いる?」
 話しながらも比較検討を続けていく。ニつにまで絞れた。
『待ってねー? 顔と服と、……あー、決定的な瞬間もちゃんと映ってるねーヘッタクソ……で、祈鶴学園生でしょー? タイの色的に二年生でしょー?』
 コードレスである必要はない。メジャー機種の型落ちの方にしよう。手近なところに積まれた買い物かごに放り込む。
『……うわ、吉岡市議の息子とか社長令嬢とかいるじゃん、すっごいよこれ、いくらでも取れるじゃん……! 絶対買う、いくらほしい?』
「別にいいよ、勝手に持っていってくれれば」
 家電コーナーでの用は済んだ。折角なので先程通りすがりに発見したカラコンの棚へと移動する。
『前からいってるじゃんそれじゃ困るってさあ? 俺は金を払ってそれを使う、山瀬は金を受け取って共犯者になる。ちゃんと片棒をを担いでもらわないとさあ?』
「じゃあ三千円」
『馬鹿にしてんの?』
「それなら三万円」
『……お前、わざとやってるでしょ? 桁を乗せりゃいいわけじゃねーからね?』
 在庫があるのは茶色や黒といった無難な色のものばかりだ。バイトに着けていく分はもう十分ある、特に買い足す必要はなさそうだった。
「文句ばかり言うならいいよ、その辺の店員に適当に突き出して終わりにするから」
『はェ?! いやいやいや、待てって、これ一個で何百万動くと思ってんだよ!? それを!?』
「人生大事なのはお金じゃないって言うでしょ」
『馬鹿じゃねーの!? ……つーかさぁ、金が目当てじゃないならなんで俺に連絡取ったんだよ?」
「なんでって」
『あーわかった、コイツらに何かされたんだ、そうでしょ?』
「別に?」
 強いて言えばぶつかられた。が、動画を撮ったのはその前だ。
『……じゃあ何? お前に限って正義の鉄槌なんて笑っちゃうことは言わないだろうしさぁ?』
 その『笑っちゃうこと』を一生懸命やっていた小さな背中を思い出し、冷たい笑みが唇の端に浮かぶ。
「そうだね、強いて言えば……視界に崖っぷちと、簡単に突き飛ばせる背中があったから?」
 沈黙。
『……訳わかんねーよ。ああもういい、お前の言い値で買う。それでいいんでしょ?』
「それはどうも。出来れば無料で引き取って欲しいんだけどね」
『そんな恐ろしい取引できないね、無料より高いものはねーんだよ』
「信用ないなあ」
『あるわきゃねーだろ、振り返れ我が身を。ほんとに。……じゃあ、あとで五万振り込んどくからね?』
「増えたね。……まあいいや、了解」
『あ、次にいい絵が取れたら真っ先に俺に「売る」んだよ? 今度こそ適正価格でね?』
「はいはい。それじゃ」
 通話を切り、スマホをポケットにしまい込む。
 他に買うものは……精々が日用品か。隣接されているスーパーをうろつき、茶葉や値引きシールの貼られたパンもカゴに入れる。
 レジにはいかにもダルそうなバイトが入っていた。会計を待つ間ふと遠くを見ると、先程の高校生たちが実に楽しそうに年相応に戯れているのが目に入った。
 表面上は何一つ変わっていない。誰一人として、明日も明後日も期待通りの日常が来ることを疑っていない。首にはとっくに縄がかかって、後は俺も蒼崎も知らない誰かが絞首台のボタンを押すだけだということを、夢にも思っていない。
「あざっしたー」
 やる気のない店員から黄色いレジ袋を受け取る。
 二度と会うことのないであろう彼らの碌でもない未来予想図は、店を出る頃にはすっかり雲散していた。