俺と彼女の暗殺行-6

腕の激痛で目を覚ます。
両腕が壁に固定されていた。よく見れば足元も鎖で繋がれている。
「……うっすら予想はしてたが、これが古い友達への仕打ちか?」
白金の後ろ姿に話しかけると、ナルニアはゆっくりと優雅に振り向いた。
「おや、目を覚ましたのか。思ったよりも早かったね」
天使のような微笑み。その表情だけを見れば、とてもではないがこの場所が蝋燭以外の明かりのない地下牢とは思えなかっただろう。
傍らのテーブルには俺の装備、ナルニアの手には俺の十字槍が握られている。
「随分いい槍を持ってるね。テロリストには勿体ない、僕が有効活用してあげるよ」
「テロリスト……」
その言葉がすんなりとナルニアの口から出たことで、俺の中で一つの結論が弾き出される。
「……全部最初からわかってた、ってわけか」
「猊下の協力者が何もかも教えてくれたよ。前に返り討ちにしそこねた暗殺者の一人がまた命を狙っている、ってね。まさか君が一枚噛んでるなんて思わなかったから、かなりびっくりしたな。……あのままフローレアでしみったれた冒険者のまま一生を終わりそうだった君が、一体どんな風の吹き回しかな?」
「……あんたに教える義理なんざあるかよ」
「ふふ、まあいいけどね。……真相がどうであれ、君の人生はここで終わる」
「……ああ、そうかよ」
「随分と余裕だね。まさか、あの金髪の女が君を助けてくれるとでも思っているのかな?」
「…………どうせあいつは罠に嵌まったんだろ」
「焦らし甲斐がなくてつまらないなあ。君の言う通り、あの女はオーギュストくんとその連れが追っているよ。そう時間のかからない内に死ぬんじゃないかな」
「……随分軽く言うんだな」
「軽くもなるよ。猊下を狙う暗殺者が月に何度来ると思う? 少なくない割合で僕が返り討ちにしているんだよ?」
ナルニアが腰の剣をこれ見よがしに見せびらかす。
「……おニューの武器か。戦闘スタイルごと変えるなんて随分思い切ったな」
「対人戦闘が主なんだからこれが一番いいのさ。町の中で大剣なんて野蛮なものを振り回すわけにもいかないだろう?」
「えらい変わり様だな、あれだけ自分の大剣を見せびらかして自慢してたのに」
「……――お前みたいな田舎者に何がわかる」
ナルニアの声のトーンが下がる。
「同郷だろうが、随分な言い方だな、さてはお前も田舎者とバカにされたクチじゃ」
最後まで言い終わる前に頬に衝撃が走る。……ナルニアに殴られた。剣の鞘で。
「……死にものぐるいで努力して騎士団に入ったら貴族の師弟だらけ、模擬戦なら俺が勝つのに礼儀だの慣習だのでイチャモンをつけられて奴らに勝ちを譲るまでやり直し! 一つ直せばまた次の言いがかりをつけられる! ……奴らが生まれの事以外何も言えなくなるまで2年かかった! 2年もだ!」
「……アポロとギリアンがいただろう、奴らでは足りなかったのか」
そう言った途端、ナルニアは乾いた笑いを漏らした。
「後ろ盾のない彼奴等なんてなんの役にも立たないよ。その癖して、僕が冒険者流から少しでも外れるとすぐに非難してくるんだ。重くて重くて、切り捨てないととてもじゃないけど進めなかったよ」
思わず握りしめた拳は、ナルニアには届かない。
「その反応、もしかしてギリアンに会ったのかな?」
「あいつらはアンタを信じて着いていったんだ! アンタが前を見て進む限り、どんな苦境に立たされても裏切りっこない奴らだってことくらいわかるだろ……!」
「状況によって立ち居振る舞いを変えることすら出来ない奴らだ、自業自得だよ」
「なら! それならどうして俺らを仲間にしたんだナルニア……! パーティーの方が実績を積みやすかったからとか、たったそれだけじゃないだろうな!」
「たったそれだけだよ。何を今更騒いでいるのか理解できないね」
ナルニアは片頬を吊り上げた。
「……どうせ放っておいたところで何も出来はしないんだ、君を殺すのは『あの金髪の女を殺した』っていう報告が入ったらにするよ。……それじゃあね、ヴィンス」
ナルニアは優雅に踵を返して、一度も振り返らずに地下牢から去っていった。
声にならない叫びが地下牢に木魂した。

静かにこっそりという俺の作戦はうまく行きかけた。
どういう目的があるのか、町を歩き回るオーギュストの後をつけて、つけて、つけて――――たっぷり半刻程の後、崩壊した。ヴィンスの懸念通り、レイラはオーギュストはどちらも剣を抜き放ち、交戦状態にもつれ込んでいた。
「チッ!」
日光の殆ど届かない薄暗がりの中、赫い二条の光が執念深く獲物を追い、無言で繰り出される剣戟を全て捌く。追いながら、攻めながら、しかし自分には決して刃の届くことのないように立ち回る。
オーギュストを見付けた裏路地からは、かなり移動している。攻め手も、ダールトンの町での……何処かに誘い込まれているのは確かだ、だが戻ればヴィンスが危険に晒される。
……危険に晒したから、何だというのか。
どうなってもいい相手の筈だった。最悪死んだとしても、一度レイラが救った命だ。結末がどうなろうと、罪悪感の湧きようがない仕事相手として選んだ筈だった。
けれども奴は義理堅くて、親切で、こっちが頼んだ以上の世話を焼いてきて。救いの手を差し伸べて、命を救おうと奔走して、挙げ句の果て死地にまでついてきて――――
もう二度と作らないと心に誓った、仲間のようで。
(一人でいい、一人でやってやると、思っていたのによ……!)
大ぶりした剣が壁を掠め、土埃が舞う。……狭すぎて戦いづらいが、別の武器を使える程器用ではないのはレイラが一番自覚している。柄は気持ち短めに、回転の半径は出来るだけ小さく。
対するオーギュストは、妙な形の刃をした短剣を左手に持っていた。レイラは一度だけ、それが使われるのを見たことがあった。相手の剣をその歯牙のような突起で捉えて、へし折るための刃。
レイラの剣が細やかな歯に折られる心配はあまりなさそうだったが……例によって、魔剣である可能性も否めない。
……やはり実力者だ。レイラ達の間でも一目置かれていただけのことはある。リーチこそオーギュストのほうが短くなったが、何分も追い回しているのに未だに傷一つつけられてない。
だが、防戦一方のオーギュストが疲弊していない筈はなかった。攻めて攻めて、相手に致命的な隙が生まれるのを辛抱強く待ち続ける。
「そこだッ!」
一瞬のバランスの崩れを見逃さずに腹に蹴りを入れると、オーギュストが後ろに吹っ飛ぶ。扉に激突し、暗さに慣れた目に眩い光が差し込むが、怯まずに突っ込む。
天窓からさんさんと昼下がりの光の差し込む大聖堂。武器を持ったまま後転して体勢を立て直したオーギュストの真上から剣を叩き込むと、ギリギリのところでフランベルジュを抜いたオーギュスト防御される。
レイラの双剣とオーギュストの二刀流がギリギリギリとぶつかり合う。レイラの左手の剣がオーギュストのフランベルジュを押し込み、オーギュストのソードブレーカーがレイラの右手の剣に噛み付く。
ギチギチギチ、と金属同士が噛む音が、伽藍とした聖堂に響く。爆発しそうな殺意が、二人の間で膨らんでいく。
「……往生際の悪い」
二人にしか聞こえないような声量で、オーギュストが問う。
「任務も果たせず犬死じゃ、死んでも死にきれねーよ」
レイラも同じくらいの声量で、剣に込める力を一切緩めることなく答える。
「そうか……本当に、育てた通りに育ったな……」
「自慢の妹だろ? ……そのまま、追い抜かれて死にやがれ……!」
遠くから風。すんでのところで回避したレイラが、整然と並んだ礼拝堂の椅子の背もたれに、深く膝を折って着地する。
「……リュカ! 邪魔をするな!」
遠く、聖歌隊の並ぶためのバルコニーからは返事がない。だが、追撃が飛んでくることはなかった。
背もたれを蹴倒して、レイラが再び飛翔する。
閉鎖空間から開けた場所に出たことで、二人の戦闘スタイルが大きく変わる。
オーギュストは右手のフランベルジュでレイラを縦横無尽に突き、懐に入られた分は左手のソードブレーカーで迎撃する。
対するレイラは剣の遠心力を十二分に使い、翼が生えたかのように辺りを飛び回る。路地裏でもない、どことも知れぬ室内でもない。得意とする戦場と武器が、綺麗に噛み合う。
剣が通ったところは全て死線。そこを掠めたレイラの肩から血が跳ねる。見た目はただの切り傷だが内実はズタズタ、抉られたかのような痛みが脳天まで走る。だがレイラは怯まずそのまま踏み込む。
自殺行為のような踏み込みに、オーギュストの反応が一瞬遅れた。
逆袈裟に振り上げられたレイラの剣が、オーギュストの剣先を捉えた。大きく跳ね上げられ、オーギュストの懐が大きく開く。
「死ねぇッ!!!」
レイラの刃がオーギュストに真っ直ぐ吸い寄せられ……その一撃がオーギュストのがら空きの腹に届くことはなかった。
「な……」
レイラの、腕。そこに、銀色の鋼線……いや、茨の蔓が巻き付いていた。振りほどこうと振るったもう片方の刃も、同様に絡め取られる。
「……全く、貴方の意思を尊重して二人にしたというのに、いつまで遊んでいるのかな」
……一体いつから聖堂にいたのか。高位の聖騎士の服を纏った男が、片手にレイピアを構えながらレイラとオーギュストに近づいてきていた。
その手が軽くひねられた途端、レイラの腕に途方も無い痛みが走る。
「ギッ……!」
悲鳴を飲み込むレイラだったが、力の入らなくなった手は剣を取り落してしまう。
さらにもう一本の蔓がレイラの胴に巻き付き、その体が宙に浮いた。
「ナルニア様……邪魔をしないで頂きたいと、あれ程」
「君にとっては残念なことに、その女は猊下のお眼鏡に叶ってしまったんだよ」
「ですが……!」
「わかってるの? 君の今の主は猊下だ」
ナルニアの見下すような視線に、オーギュストが切っ先を下げる。
「それでいい。……君も猊下の大切な戦力だ。事が終わったら、すぐにでも治療しよう。そこのバルコニーの君も、何か言いたいことはあるんだろうけれど、大人しくしていてくれるかな」
「……猊下……大司教、だと?」
レイラの射殺さんばかりの視線を受けても、ナルニアは場違いな程に優雅に笑いかけるだけだった。
「……ハハ、やっぱり道理が通らねーと思ったぜ。テメーの任務はジジイ共から来たものじゃなくて、あの豚野郎からの――」
「口を慎み給えよ」
一瞬締め付けがきつくなる。
「もうお入りになられても大丈夫ですよ猊下。女は無力化させました」
涼やかな声に促されて、祭壇側の扉が大きく開く。
市井の人間から、あるいは身内からも豚と形容される巨体が、左右に大きく揺れながら聖堂に入ってきた。
「全く……この私に扉を開けさせるとは。他の策はなかったのかね」
「申し訳ありません、事を秘密裏に運ぶためには、最小限の人間以外を聖堂に近づけるわけにはいきませんでしたので」
ふん、と鼻を鳴らすと、その巨躯が牛のように揺れた。
「……わざわざテメーが出向いてくるとは。よっぽど俺に殺されてーみたいだなクソ豚!」
「おうおう、元気のよいことだ」
丸々と肥えた顔に心底嬉しそうなニヤケ笑いが張り付いている。
オーギュスト。大司教。ナルニアに、……恐らく、オーギュストに騙されていたリュカ。
復讐相手とその協力者が雁首揃えているというのに、武器を取り落し、宙につられ、出来ることが何もない。
冷たい汗がレイラの頬を伝った。