俺と彼女の暗殺行-4

夜通し、可能な限りの速度で、竜車を走らせ続けて丸一日。
村らしき物が見えたのは、日が落ちようとする頃になってからのことだった。
村と外を分ける壁どころか、柵すらもない。というか、建築物すらパッと見では辺りのゴツゴツとした地形と見分けがつかない。
レイラは見るからにぐったりとして荷台に倒れ伏している。口元に水筒を押し当てると飲むので生きているのは確かだが、明らかに弱っている。
昔ながらの……言ってしまえば粗末な石造りの家ばかりの集落で、何一つとして目立つ建物がない。が……たった一つ。たった一軒、わずかばかりに、他の家よりも大きい。そして何より、玄関先に木材を重ね合わせて作ったサンジェミニ教のシンボルを下げている。
恐らくはここが村人達の集会所で、教会だ。
間違っていても構わない、それなら出てきた家人に教会の場所を尋ねるまでだ。ノッカーのついていないドアを拳で連打する。
「誰か! 誰かいるか! 旅の冒険者だ! 今にも死にそうな奴を連れている! 入れてくれ!」
しつこいくらいにノックすると、やがて中から重々しい足音が聞こえた。
「……んだよこの時間に、奇跡はとうに品切れだっての。またあのクソジジイか懲りねーなクソが……次は倍ぶんどるって言ったら笑ってやがったが冗談でもなんでもねーぞクソが……」
聞こえている。如何にもダルそうで口の悪すぎる独り言が聞こえている。
扉が開き、中から猫背の神父が出てきた。
「ドンドンドンドンうるっせーんだよ、聞こえて――」
その神父が俺を見て固まった。
俺もその顔を見て固まった。
ややあって、
「……ヴィンス?」
「…………ギリアン?」
互いの口からその言葉が出たことで、疑念が確信へと変わる。
かつて俺を置いていった元仲間達の一人。クロスボウの達人で、今は聖騎士団に籍を置いて輝かしい活躍をしていたはずの男は――――小さな村の貧相な教会で、質素極まりない神父に成り果てていた。

割り当てられた部屋にドサリとレイラの剣を下ろし、ヴィンスは一息つく。
(…………想像以上に、重い)
刃渡りは本人の腕と同じくらい、分類上はショートソード。だが、刃の形が特殊過ぎる。鉈を思わせる身幅や背の分厚さが尋常ではなく、しかも遠心力を最大限に乗せるためか、重心が切っ先寄りになっている。恐らく重量は俺の槍と然程変わらない。
それが、2本。
……片手に一本ずつ持って振り回せるレイラには、本当に驚くしかない。軽々と屋根の上を跳ね回るリュカといい、レイラに手傷を負わせて今の状況を作り出したオーギュストといい、一体どんな訓練と生活ならあの実力を涵養出来るのだろうか。
ギリアンに案内された急ごしらえの客室は竜車の荷台程度の広さだ、俺とレイラの武器、既に運び込んだ最低限の生活用具以外大半の荷物は竜車に置いたままにするのが良いだろう。
軋む床板を踏みながら、聖堂へと向かう。
小さな聖堂の床に敷かれた布の上に横たわったレイラの心臓あたりに、ギリアンの手がかざされている。
「大いなる主よ、小さき我らを憐れみ給え。青褪めた使者を遠ざけ、我らが再び主の試練を受ける者として荒野に在ることを許し給え。憐れみ給え、憐れみ給え、憐れみ給え――――」
緑白色の光がギリアンの手に灯り、聖句の一句ごとに、レイラの体に少しずつ花弁のように落ちていく。
ヴィンスは壁際に立ち、黙ってそれを見ていた。
高位の治癒の奇跡。
フローレアの町の婆さんが全員横一列に並べて聖水をぶっ掛けて雑に治していたのとは、質があまりにも違う。ダールトンの町の司祭だって、俺の怪我にはそんな手厚いことはしなかった。
それだけ、レイラの体を蝕む毒が驚異的で。ギリアンの使える治癒の奇跡が高度だということか。
――どれだけ時間が経っただろうか、ギリアンの手の燐光が静かに収まって、20人が収容出来る程度の小さな聖堂の中が夕闇一色に染まった。
「……まぁまずはこんなもんでいいだろ、とりあえず死ぬ心配はなくなったぜ」
「すまないな、急に押しかけてしまう形になって」
「たりめーだボケ、非常識にも程があるわクソボケ。どんなに金積まれても普通なら断って鼻先で扉閉めるわボケ」
「……悪い」
ヴィンスの言葉はひたすら殊勝だったが、そのヴィンスをギリアンは心底の不機嫌を隠さずに睨みつける。
「相ッ変わらずホイホイ人に頭下げる野郎だな、プライドってもんがねーのかよ?」
「相っ変わらずガラ悪いな、アンタの性根は治癒術士にもどうにも出来なかったのかよ」
しばらく視線をぶつけあった末、ギリアンが耐えきれないと言わんばかりに吹き出す。
「……しっかしテメーよぉ、わざわざこんな村に立ち寄るわ金はあるわキレイな顔したカノジョとつるんでるわ、一体どうしちまったんだよ、え?」
「カノッ――……レイラはただの依頼人だ」
「依頼人ン? マジでどういうことだよ、なんでテメーなんだ釣り合わねーだろ?」
「竜車が運転出来るなら誰でも良かったんだとさ」
「ぎゃははははは、ウッソだろマジで!? そんな理由あるか普通! あっはっは、腹いてー!」
ギリアンは腹を抱えて笑い転げる。ヴィンスは心のなかで、道中何度目かのため息をつくことしか出来なかった。
……この、ひたすら人を小馬鹿にする感じが相変わらず過ぎて、腹も立たない。
だからこそ……聞かなければならないことがあった。
「……ギリアンこそ、何があったんだよ。お前らは三人揃って聖騎士団の仲間入りした筈だろ」
ギリアンは鼻で笑った。
「テメーは来なくて正解だったぜヴィンス。あそこは神の御国に行くには最速すぎてテメーには必死こくことすら出来ないような場所だったからなあ?」
回りくどい例えの後、ギリアンは語りだす。
「入ったところからが本当の始まりだったよ。毎日毎日アホみたいに訓練ばかり。同期とはあらゆる面で競争させられて、ついてこれない奴は一生下働き、世間で聞くようないい暮らしが出来る奴はほんの一握りだ。……多少減ったって、俺らみたいな事情を知らないバカが幾らでも入ってくる。そりゃ最強の実力者揃いにもなるよなあ?」
「……」
「まあそんな集団にうんざりしていたのもあってさ、転属したんだ。どうあがいてもこの村の神父以上にはなれねーけど毎日やることやれば成果は上がるし、治癒の適正はあるし、村に出るちょっとした魔獣を追っ払った日には神のように崇められる、最高だろ?」
「……アポロと、ナルニアは?」
ヴィンスが尋ねると、ギリアンはしばらく言葉を探して、やがて重い口を開いた。
「……アポロは死んだ」
「そんな! アポロだぞ!?」
「って思うだろ? フローレアじゃ負け知らずだったしな。けどまあ、聖騎士団にはあいつと同じくらいパワーがある奴なんて幾らでもいてさ……焦ったんだろうな。亜竜種に正面からかかっていって、一撃でくたばった。ハッ、脳筋らしい死に方だ」
「…………そんな……ことが……ナルニアは? まさかアイツも」
「……ナルニアな」
苦虫を噛み潰したようなような顔で、ギリアンは続ける。
「ナルニアはさ……あいつは要領がいいからさ、実力の高い連中と仲良くして、切磋琢磨して、さっさと出世していったよ。必死に足掻く俺とアポロには目もくれずな」
淡々と。淡々と。事実だけを語るギリアンの言葉に、激情が乗っていく。
「……ふざけんなよ。だったら俺らは何だったんだよ。最初から……最初っから冒険者ギルドから聖騎士団にスカウトされるために集められたとしか思えねえ! 俺は親父のコネ、アポロは腕っぷし、お前は雑事を丸投げするための体のいい召使い! 周りからはさぞ滑稽に見えてたんだろうな、二度と戻りたくねーよあんな町!」
「……俺だって一人になってからようやく気づいたさ。所詮は俺の実力じゃなかったってさ」
ギリアンはさらにぶつける暴言を探しているようだったが、やがて大きく息を吐き出して、のりだしていた身を元に戻した。
「ケッ、んだよ厭味ったらしい。…………悪かったよ」
「……もういいよ、それは」
過去は変わらない。変えられない。きっとこの先も完全には許せない。
けれどもここで助けてもらわなかったら、一生「もういい」という言葉は出なかっただろう。
「それで、一人だけトントン拍子で出世しやがったクソ野郎は今どうしてるんだ」
「傑作だぜ。今じゃ豚小屋の番人だとさ」
「……お前の皮肉は捻くれ過ぎててたまによくわからねーんだよ」
「うっせ、テメーにわかるだけの教養がねーのが悪い。……聖王都の豚みたいな大司教の護衛って意味だ、わりとそのままだろ?」
聖王都、豚、大司教。危険な幻獣を見つけてしまった時のように脈拍数が上がる。
「……ヴァレンタイン大司教」
「んだよ知ってんじゃねーか」
「俺が教えたからな」
ヴィンスがばっと振り向く。
レイラが目をうっすらと開き、二人の方を見ていた。
「レイラ!」
「大声出すんじゃねーよ頭に響くだろうが……あーでも随分マシになった……」
「よかった……本当に……」
感極まってレイラに近づくヴィンスとの間に、ギリアンが割って入る。
「あーあーあーイチャイチャするんじゃねーよ鬱陶しい! オラ、飯用意してやったからさっさと食え! そして寝ろ!」
「は? そこまで世話見てくれるのか」
「うるっせーな! この村には宿も食堂もねーんだよ! 俺が用意しなきゃテメーら今日も野宿だったんだからな! テメーらの支払った銀貨五枚と神に感謝しやがれ!」
「感謝する先はお前じゃねーのかよ」
「謙虚なんだよ俺は!」
「どこがだ!」
「このボロ教会の修繕にどんだけ手間と金がかかると思ってんだ! 前任のクソジジイが荒れ放題にしたのを必死に直してんだよ! いつまでもどこまでも行ってもオーバーワークだ畜生が!」
叫び疲れたギリアンが肩で息をする。
「明日も治療だからな! 今日より特急で治療するから覚悟しやがれ!」

二日目は、ギリアンの代理で村の雑用をこなすうちに、あっという間に過ぎていった。
藁を敷いて布をかけた程度の寝台の上で、レイラはぐっすりと眠っていた。俺が身を起こしても、一向に目を覚ます気配がない。
月明かりに照らされた寝顔には、まだ生気がない。
足音を立てないように細心の注意を払いながら、そっと廊下へと出ていく。
手洗い場から帰ると、曲がり角の先にギリアンがもたれかかっていた。
「……ちょっと付き合え」
それだけ言って、俺の方には見向きもせずに歩いていく。俺は黙ってついていった。
扉を開けると満天の星空が広がっていた。教会の外、小さなハーブ園のようになっている
「カノジョの全身の傷、ありゃなんだ」
……やはり金と勢いで押し切るのには無理があった。
上手い説明が見つからず、最終的に口から出てきた言葉は実に素直なものとなった。
「……俺と出会う前は殺し屋やってたんだとさ。直近の切り傷は元仲間からつけられたものらしい」
ギリアンはしばらく天を仰いだ。
「なんたってそんな厄ネタとかかわり合いになっちまったんだテメーはよぉ」
「……命の恩人なんだよ。最初は竜車に乗せて聖王都に連れて行けっていう簡単な依頼だった」
「竜車って言えばよ、あれギルドのだろ」
「よく覚えてたな」
「テメーを加入させる前は俺が操縦してたんだよ、間違うわきゃねーだろ。……で? 許可は?」
「あると思うか?」
「だろうな。……クク、あのジジイがどんな顔して帰ってこない竜車を待ってるかと思うと傑作だぜ」
「万が一帰れた時が若干怖いな」
「カノジョほどじゃねーだろ」
「違いない」
しばらく引きつったような笑いが起きる。
「……豚だの糞だの言ってるけどよ、あの大司教は簡単に殺れる相手じゃねーぞ」
「……治癒術士は心まで読めるのか?」
「状況証拠だクソが。……何も口車と政治力だけで成り上がったわけじゃねー、治癒術どころか聖盾まで展開できるんだとよ」
「聖盾?」
「光の壁っつーかなんつーか……まあとにかく生半可な剣は通らなくなんだよ。……それに、あのナルニアの野郎だ」
「ああ……近衛兵なんだっけか」
「貴族のボンボン共に揉まれて実力もゲスさもテメーの知ってるナルニアとは段違いに上がってる。けったいな武器も持ってやがる。間違ってもテメーごときが勝てると思うなよ」
「……えらく親身だな」
「こちとら心底ムカついてんだよ、あんな豚野郎が聖騎士団に口出せる立場だったってのにも、ナルニアの野郎にもな。首がすげ変わればザマミロスッキリ、ついでにナルニアの野郎のスカした顔が歪むなら万々歳だ」
「本当にいい性格してるなお前」
「ま、あのカノジョならどっちもなんとかしちまうかもしれねーけどよ。……本当についていくのかよヴィンス。ソッコーで死ぬ未来しか見えねーぞ」
「……ギリアン。俺があのままフローレアにいたとして、安全な依頼ばっかり受けるシケた中級冒険者を続けていたとして、幸せになれたと思うか?」
「無理だろうな。俺の大っきらいな、年上の割に実力もなく導くでもなく、ジメジメと若さを羨むような老害になってたにちげーねーよ」
「誰がそこまで言えといった」
本当に、この幼馴染は。
「……まあ、多分、その未来予測は間違っちゃいない。レイラが現れなきゃ、俺はそうなってた」
「命の恩人でテメーの未来の恩人、ってことか」
「冒険者だって死と隣合わせだったんだ。死ぬのが怖くてビビったら今度こそ俺にチャンスはない」
「ハッ、テメーも図太い野郎だな。……もしナルニアにあったらよ、地獄に落ちろって中指立てた上でぶん殴っとけ」
「承った」
ギリアンが星を見上げる。
「俺は、冒険者なんて仕事大嫌いだったよ」
「え」
「親父に期待かけられて、周りもそれが当然みたいに思ってたから、仕方なくやってた。そこから死にものぐるいで逃げて聖騎士になって、今度は聖騎士が大大大嫌いになって死にものぐるいで逃げて神父になった。……逃げる方向に死ぬ気でやってた俺だって、一応はどうにかなったんだ。テメーが死ぬ気でやりゃ、きっと何かは掴めるだろうよ」
「ありが」
「わかったら寝ろ!」
言葉を遮ってギリアンは大股歩きで教会の中に戻っていった。
……激励、だったんだろうか。
欠伸が一つ漏れる。俺もそろそろ寝なければ。