俺と彼女の暗殺行-3

白い朝日が登ったばかりだというのに、往来には人が沢山いた。竜車もちらほらと走り始めている。
宿から少し離れた通りに出ていた屋台のホットドッグを頬張りながら、レイラは不機嫌そうに頬杖をついている。
「二回目の鐘ってのはいつ鳴るんだよ」
「そのうちだろ。少なくとも俺らが飯を食って竜車を出して工房に辿り着く頃には確実に鳴る」
ヴィンスも同じものを頬張る。屋台のすぐ横の長椅子は、レイラとレイラの剣が半分以上を占領している。ヴィンスはその端にどうにかこうにか座っているような状態だった。り、噎せて、懐の水筒の水を口に含む。
「すぐに出られるんだな?」
「昨日荷積みしただろ、それで全部だ」
「ならいいけどよ」
「……嫌な夢でも見たのか」
「お前には関係ねーだろ」
「同行者が不機嫌なのは仕事の士気に関わるんだよ。……予定にはないが、また屋台の串焼きでも食べるか?」
「……今からやってるのかよ」
「前日に仕込みをやってる屋台だってあるかもしれないだろ」
「不確かだなクソが。……見つけたら竜車から飛び降りて勝手に買ってくるからな」
「わかった」
「食い終わったな? 行くぞ」
「待ってくれ、あと一口」
「早くし…………ッ!」
突如抜かれたレイラの剣がガィゥン! と鳴る。突然のことに驚いたヴィンスの手からホットドッグが落ちる。短めの棒……『矢』が回転しながら空中を落ちていく。
剣を振った拍子に外れたレイラのフードの中から、朝日を跳ね返す金色の髪が溢れ出す。
ガィゥン!
「走れ!」
それだけ言って走り出したレイラの後にヴィンスは慌てて続く。
狙撃されている。レイラが。誰に?
混乱したままジグザグに走る。ガゥンッ! 盾にした屋台に矢が突き刺さり、寝ぼけ眼だった店主と客が悲鳴を上げる。
「レイラ、このままだと関係無い奴まで巻き込まれる!」
「降参しろってか!」
「そうじゃない、人気のない場所に」
ガゥンッ!
「移動するべきだ!」
「それじゃリュカの思う壺ッ――」
レイラの口角が好戦的に釣り上がる。
「いや……いいぜ、乗ってやるッ!」
レイラに続き、ヴィンスも細い裏通りに飛び込む。
背後の通りの混乱と悲鳴、怒号を置き去りにして、建物と建物に挟まれた裏路地をひた走る。
「レイラ、今のは――」
「後にしろ!」
レイラが走る。障害物を避け、角を曲がり……その足がピタリと止まった。ヴィンスが辛うじてぶつからずに止まる。
レイラがいつの間にかもう一本の方の剣も抜き、今にも飛びかかりそうな獣のように体勢を低くして、殺意を隠そうともせずに眼前の人物と相対する。
マント、フード、手袋、その他の布で体を全て覆い隠した長細い人影。その人影が柄の部分の長い剣を抜く。炎のように揺らめいた形をした刀身の両手剣は、レイラを正眼に捉えていた。
「ルクスルフトに向かってりゃいつかはぶち当たると思ってたけどよ……こんなに早く、テメーの方から来るなんて、探す手間が省けたぜオーギュスト」
レイラの声は歓喜と怒気で弾んでいる。
「……それはこちらの台詞だ」
細身の男は、静かな声で語りかける。
「今回もまた、相手を罠ごと食い破ろうとして意気揚々と飛び込んできたのだろう。お前の待ち伏せはいつも簡単だな、レイラ」
「ほざけッ、テメーはここでブッ潰すッ!」
レイラの双剣が根本から赤い光を宿していく。焼けた鉄よりも尚赤く燃え上がった剣が、二条の赤い尾を引きながら獲物を見付けた狼のように敵に喰らいつく。
斜め下から振り上げられた初撃は躱され、間隙を縫って波打つ刃がレイラを狙い、赫い剣が返す刃で叩き落とす。
怒涛の攻めと、その速度に対応する堅実な守りと反撃。一瞬の内に展開される剣戟を、ヴィンスは手を出すことも出来ず見ているしか出来なかった。
怒涛の攻撃を一太刀も浴びず、かつ執拗に鋭く反撃している男。
『どうしてもぶっ殺さなきゃいけない奴が二人いて、その内の一人がルクスルフトにいる。そいつを殺そうとすれば、何処かでもうひとりが出てくる』
そんなレイラの言葉を思い出す。あれが……レイラの敵、『もうひとり』の方か?
風切り音。
「がッ!?」
上腕部に灼熱感。ヴィンスの腕を掠めた矢がカツンと地面の上で跳ねた。
短剣を抜いて半身になり、ヴィンスは矢の飛んできたほうを見上げる。屋根の縁に一瞬、ボウガンを持った何者かが引っ込む姿が見えた。
……さっきの狙撃者!
拙い、戦いながらあんなのに狙われたら、いくらレイラであっても一溜まりもない。
どうする、――どうする。
予備の短剣の柄を握りしめる。いつもよりも柄が汗で滑る。
俺が――俺がやらなかったら、俺もレイラもどっちも殺される。やれるかどうかは問題ではない。
だが……一体、どうやって。
その時、街中に響くような鐘の音が辺りに鳴り響く。……宿屋で聞いたのと同じ音。二度目の鐘。
「ヴィンス!」
レイラの一喝にびくりとヴィンスの体が跳ねる。
「行け!」
実に短く、目的語も何もない命令。だがその一言でヴィンスの体は激闘の逆方向に走り始めた。
遠くなっていく足音を聞きながら、レイラは僅かばかり口角を上げた。
間合いの外からそれを見たオーギュストが口を開く。
「あの男がお前の役に立つとでも?」
「テメーこそ。リュカがヴィンスを殺れるとでも思ってんのか?」
「実力差は明らかだろう。何故あの男がお前に同行しているかは知らんが、冒険者に出来る抵抗などたかが知れている。……貴様もだ、レイラ。たった一人で何が出来る」
「アイツの往生際の悪さを馬鹿にするなよ。逃げたらブッ殺すっつってんのにずっと逃げるチャンスを探してやがる。……一人だろうとやるしかねーんだよ、俺以外はみんないなくなっちまったからな」
「そういう任務だった。そして――」
フランベルジュの切っ先がレイラの胸元に向けられる。
「――そういう任務だ」
「言ってろ、こっちはハナから理由なんざどうでもいいんだッ!!!」
言うや否やレイラが地を蹴り、懐に潜り込む。
オーギュストはまともに打ち合うようなことはせず、下段にいなすようにレイラの一撃を捌く。
追撃……をせず、レイラは別の角度から打ち込む。直後、靡いた金色の髪の何本かが突然中途から切断された。
オーギュストの剣、その手の内は割れている。名前こそ覚えていないが、水の上を歩けるとかいう魔獣の足の骨を使った魔剣。能力は『その場に残り続ける斬撃』。
覚えておかなきゃいけない効果は3つ。①見た目の割に剣が折れにくい②剣筋が増える③傷口がエグいことになる。全部鬱陶しいが一番厄介なのは②だ。②と③が合わさればもう最悪、何もないと思って突っ込んでいったが最後、装甲なんざ関係なくギッタギタに斬られる。
『頑丈、刃こぼれを気にせず死ぬほど斬れる』レイラの剣ならば残った剣筋に突っ込んでも問題はない。が、オーギュストをぶった斬るには刃渡りが少し足りない。
……まどろっこしくても、刃の通った場所を大きく迂回して斬りつけるしか出来ない。
オーギュストよりも明らかに大きな動きで、蛇が執拗に獲物に牙を突き立てるように、何度も何度も突撃を繰り返していく。
当然体力の消費はオーギュストの比ではないが……レイラの勢いも、殺気も、瞳の赫と双剣の赫も、全く翳りを見せない。
レイラのすくい上げるような一撃がオーギュストの剣を跳ね上げる。剣を支えていたオーギュストの左手が一瞬離れる。
「――――ッ!!」
千載一遇の好機。オーギュストを袈裟斬りに両断するべく振り上げられた剣は――僅かな違和感に一瞬止まり、次の瞬間レイラごと大きく後退する。
「お前を罠に嵌めるのはいつも簡単だな、レイラ」
左脇腹に何かが刺さっている。じくじくとした痛みと熱。針というには太く、尖った棒というには頼りない何か。
「何だか知らねーが仕留めきれてねーぞクソが!」
抜くような隙はそれこそ見せられない。
仕切り直しだと言わんばかりにレイラが愚直に飛びかかっていく。

足元にボウガンの矢が突き立っていくが、ヴィンスは怯まず止まらずに走り続ける。ジグザグ、急停止、急加速。狙いを定めることの出来ないよう複雑な軌道で、けれども全力で一方向を目指して裏道を駆けていく。
表通りに出る。先程よりも道を行き交う人が増えていた。すぐ後ろに矢が突き立つ音に急かされるようにして急いで渡り、『魔獣武器加工工房』の印のついた店に飛び込む。
カウンターを一足で飛び越えてその裏に潜り込む。作業机の上で、昨日の職人が突っ伏して眠っている。
椅子の足を蹴っ飛ばすと、職人が10センチ浮くくらいの勢いで跳ね起きた。
「いらっしゃいませおはようございますごめんなさいハイヨロコンデ!」
「落ち着け!」
「うわっ! ……えーっと、昨日のアビスシックル素材のお客様? どうしてカウンターの裏なんかに……」
魔獣武器加工工房の職人は眠そうに目を瞬かせながら、面食らったように俺を見る。
「申し訳ない、ちょっと事情が……槍は仕上がってるか?」
「えっと、一応出来ているんですけど、まだ微調整が……」
「それでいい、渡してくれ」
「わ、わかりました!」
そう言ってやや早足で店舗の奥に消えた職人は、程なくして槍を抱えて戻ってきた。シルエットは間違いなくヴィンスの十文字槍だが……柄の色や刃の形状が預けた時とはかなり変わっている。
「ちょっと凝りすぎて若干重くなりましたけど、寸法と重量バランスは元と同じにしてあります! ただ魔武器としての動作確認はまだ不完全で保証が……」
「いい!」
もぎ取るようにして槍を受け取る。
最初からその重量であったかのように、槍は俺の手によく馴染んだ。ほんの少しだけ振り回して、使用感が変化していないことを確認する。
「無理を聞いてもらって済まない、預けている金は迷惑料として取っておいてくれ!」
「えっいいんですかありがとうございます? あっ、お急ぎのところアレですけど、絶対に動作確認してから使ってくださいね!」
「多分無理だ!」
槍を手にカウンターの外に出て、ドアノブを掴んで一気に開ける。早速飛んできた矢を石突で払う。単なる木柄だった時よりも遥かに良い音。……どれだけふんだんに素材を使ったんだ?
矢が飛んできた方向に人影。逃げも隠れもせず、俺を見下ろしている。
誘われている。……行くしか無い。
奴が立っている建物の外には、お誂え向きに階段がついている。しかも今のアイツの位置からはほぼ死角。丁度いい。
頭上からの狙撃に警戒しつつ、一段飛ばしで軋む階段を登り、最上階の踊り場から手摺を蹴って屋根に飛び上がる。
先程までの場所に……襲撃者はいない。
「後ろだよ」
「――ッ!」
咄嗟に槍を振り回す。狙いの不正確な一撃は風を捉えることが出来なかった。
傾斜した屋根の上で器用に跳ねる小さな人影。……銀髪の、子供。肩口で切りそろえられた髪は太陽の光を反射して、水面のように煌めいている。貴族のような綺麗な顔立ちに、片手に持った刺突短剣はあまりにも不釣り合いだった。
ボウガンは何処かに置いてきたのか、装備品には見当たらない。
互いに目をそらさず、じりじりと間合いを図る。
「君がリュカか」
「貴方がレイラの新しい仲間だね」
「何故レイラを……俺達を狙う」
リュカは少し意外そうな顔をした。
「レイラから聞いてないの」
「アイツは随分と秘密主義のようでな。推測なら出来るが」
「ふうん。……けれども幾ら考えたって無意味だよ。貴方はここで死ぬ」
そういうとリュカは、砲弾のような勢いで飛びかかってきた。
「くッ」
外見が子供だからと躊躇したらこちらがやられる。必死に応戦する。
高所での戦いだ、究極的には槍がリュカを捉えられなくとも、足場さえ崩せれば勝負は決まる。リュカの足元を払おうとして……その動きが、ことごとく阻害される。
短剣の動きはこちらの槍捌きを明らかに誘導している、だが一つでも打ち漏らしたらその瞬間俺が串刺しにされる。不安定な足場に戦々恐々としながら戦っている俺に比べて、あちらは軽い身のこなしで軽々と屋根の上と跳ね回る。……リーチも遠心力もこちらが上の筈なのに、全く有利な気がしない。
勝率は著しく低い。素の実力の差が悲しいくらいに圧倒的すぎる。
……だが、今俺が手にしている十文字槍は、最早ただの槍ではない。
アビスシックルの暴威を思い起こす。あの能力を俺が使いこなせれば――――
――――いや待て、どうやって?
考えている間にも戦況は刻一刻と変わっていく。
跳ね回るリュカにあわせて、隣のやや低い建物に飛び移る。足元で瓦が剥げる。前に飛ぶ。下で悲鳴。
落ち着いて、落ち着いて考えろ。
工房の職人は特に説明する素振りもなかった。『動作確認が済んでいない』云々言ってたということは、使用に資格は必要ない。操作もそう難しくない筈。
キイン!と短剣を弾いた勢いで後ろに下がる。
どうすればいい、どうすれば、あそこのあの手練の暗殺者を切り裂くには……!
…………。
……視界に何か、見えた。
その一瞬見えたかも知れないものは、再び接近してきたリュカの攻撃を捌いた拍子に霧散する。
槍を手にしている状態で、遠くの切りたい物を見る。それがこの魔武器の発動条件の一つなのか?
相対しながら、相手に悟られないように静かに息を整える。……冒険者業で体力はあるとはいえ、さすがにこの長丁場の戦闘はキツい。
もう一度リュカをじっと見つめる。やはり何かぼんやりと、空間にぼんやりと、黒い霞がかかった場所と、普段どおりはっきり見える場所の二つが生まれている。槍を動かすと、その霞のかかり方が微妙に変化する。
リュカにこちらからかかっていく。再び靄は消えて通常通りの視界が戻る。近すぎても駄目か。
短剣を片手に持ったまま、リュカがこちらの一撃を大きくバク転して避ける。……距離を離した? なんのために。
その答えは、リュカがすぐ横の煙突の陰から引きずり出した物のシルエットで明らかになった。
……装填済みのボウガン!
「――――ッ!」
足場の悪い中で避けることは出来なかった。リュカを正面に捉え、槍を大上段に振り上げる。黒い靄と光の差す空間がくっきりと分かたれる。
その意味を自分の中で噛み砕く前に、十文字槍を袈裟懸けに、大きく、離れた場所の、一際光っている場所にいるリュカを切り裂くように振り下ろす。
あの時見えなかった斬撃が、ボウガンを目掛けて空中を走っていく。中空で風の刃と衝突した矢がびいんと弾かれ、リュカが目を見開く。咄嗟に危機を回避しようとしたその足が滑る。
「あっ!」
そう叫んだのは俺とリュカどちらだったか。傾斜のついた屋根の上を小さな体が滑り落ちていく。駆け寄ることも手を伸ばすことも出来ず、俺は呆然とその姿を見つめるしかできない。
べしゃり、と。下から嫌な音がした。
…………最悪の想像から湧き出てくる恐怖を、必死に抑える。
とにかく長居は不要だ。屋根にロープを引っ掛け、リュカが落ちたのとは逆側に降下する。
宿は目の前だった。ロープを特殊な手順で回収し、目を丸くしている女将に駆け寄る。
「予定より早いが竜と竜車を引き取りに来た、出してもらえるか」
「は、はい、竜車ですね! ……おいアンタ、フリューゲルさんの竜車を出しな! ご出発だとさ!」 
女将が叫ぶと、ややあって宿の主人が竜車を引っ張ってきた。
汚れや傷が多かったのがかなり綺麗になっている。ついでに竜の状態もいい。
ゴロゴロと喉を鳴らす竜を軽く撫でてやり、主人に大銅貨を渡す。
「随分と世話になった、ここにいない……相棒の分も礼を言う」
御者台に飛び乗り、すぐ横に槍を立てかける。
「またご贔屓に!」
主人の声を後に、竜車を走らせる。……俺が移動している間に、きっとレイラも移動している。どこにいった?
その答えはわりとすぐに明らかになった。人がこちらに逃げて来ている。町の自警団も集まってきている。道々にぽつりぽつりと破壊の跡、……そして現在進行系で何かが壊れている音――。
「そっちか!」
恐らくは竜車が優にすれ違える程度の道。このまま突っ込むのが得策。
角を曲がったところにいたのは想像通りの二人。だが……レイラの動きが、明らかに悪い。
派手な切り傷が二つ。それが原因か、あるいは……血の流しすぎか?
俺が割って入れば……いや、無理だ。レイラと同じように魔武器を持っているのであれば、手の内もわからない内に飛び込むことは出来ない。
結果、ヴィンスがやったことは、とてもシンプルだった。
「乗れ! 逃げるぞ!」
叫びながら、竜車を減速させることなく二人の傍らギリギリに突っ込ませる。
レイラはしばらくオーギュストを睨んだまま動かなかった。やがて、
「……チッ!」
竜車とすれ違うその瞬間に縁を掴み、荷台に転がる。オーギュストの追撃。投擲された棒手裏剣を、靴の金具にぶち当てて明後日の方向に弾き飛ばす。
レイラが荷台に飛び込んだのを確認し、ヴィンスは竜車をさらに加速させる。
「そこの竜車、止まれ!」
自警団員の一人が声を張り上げる。ヴィンスはそれを無視して、騒乱で人のいない大通りを爆走する。
笛が吹き鳴らされる。辺りの自警団員に指向性が与えられる。あるものは笛を吹き鳴らす。またある者は武器を携え、竜車の行く手を阻もうとする。
「ヴィンス! 槍借りるぞ!」
答えを聞く前にレイラがヴィンスの槍を取り上げる。
「使い方は!」
「斬りたいもの見て、そっちの方に思い切り振り下ろせ!」
「楽勝だな!」
それだけ言うと、レイラは迫りくる攻撃の一つに向かって槍を振りかざす。
左右後ろ、あらゆるヴィンスの死角から破壊音が響く。
振り返りたい衝動を必死に押し留め、ヴィンスは竜車の操縦に集中する。
行く手にはこの町の防壁に空いた通用門。だが、その手前には、自警団が横一列になって何人も立ちはだかっている。
手綱を握る手に力が籠もる。
……このままでは轢き殺してしまう。だが、止まったら囲まれて勾留されるのは目に見えている。そして勾留されるだけでは絶対に済まない。武器を取り上げられて留置所に放り込まれたた俺とレイラなんて、あの男にとっては容易に始末できる存在で――――。
「突っ込め!」
絶叫。横薙ぎ。城門の上に命中した一撃が、大小の石の破片を自警団員の頭上に降らせる。
泡を食って逃げる自警団員が空けた道を直進し、竜車は草原へと躍り出る。
……追手が門から飛び出してくる気配は、ない。少なくとも今のところは。
僅かに脱力したヴィンスの真後ろで、キンッと背後で何かが弾かれる音がした。
「おいヴィンス、リュカの野郎生きてるじゃねーか!」
「屋根から落ちれば普通死ぬだろ……というか傷の割に元気だなアンタ」
「たりめーだクソボケ! ……あ、テメエよくも邪魔したな! あと一歩で!」
「あの体たらくでか」
「お前に何が――!」
「あいつを殺してそこで終わりじゃねーだろ」
「ッ!」
罵声を浴びせようとしたレイラが黙り込む。
「あれじゃ良くて共倒れだった。……そいつに拘って聖王都の奴に辿り着けなきゃ、本末転倒だろうが」
しばらくの沈黙。やがてレイラは荷台にその背を預けた。
「……傷薬と包帯。持ってんだろ」
「あんたのすぐ左の木箱の中だ」
木立の中に入り、竜車の速度を少し緩める。
追手の陰は一つもない。あとは適当なところで街道を逸れてしまえば、見つかることはないだろう。
……しかし、思いの外とんでもない騒動と加害になってしまった。
無事にこの旅が終わっても、あの町には二度と近づけ無さそうだ。というかレイラの敵のことがなければ、いっそ大人しく投獄されたいくらいだ。
しばらくは竜車の音と、レイラが包帯を巻く音以外、何も聞こえなかった。
「あいつらな。……元々はさ、俺の仲間だったんだよ」
ぽつりとレイラの口から言葉が漏れる。
「あいつらって、オーギュストとリュカのことか」
「は、それ以外に誰がいるんだよ。全員俺と同じような……まあ、なんつーか、冒険者風に言うなら、オーギュストが『パーティーのメンバー』、リュカが『同じ町の冒険者』みたいな感じか」
ヴィンスは黙ってレイラの言葉に耳を傾ける。
「一ヶ月前、俺達の……俺とオーギュストと、他の二人の、四人のパーティーに一個の仕事を任された。聖王都にいるとある奴をぶっ殺せってな。確かに難しい仕事だったが、失敗する気は更々なかった。
なのによ。……その依頼の最中に、オーギュストの野郎が裏切った。アイツ、ぶっ殺すはずの奴と組んでやがったんだ。
他の二人は瞬殺だったよ、警戒なんざする筈ねーからな、剣筋が残ってるなんざ夢にも思わず踏み出して、ズタズタだ。俺はすんでのところで気がついたけどよ……どっちも救えないで、尻尾巻いて逃げるしか出来なかった。今度こそ、油断しなきゃ、正面からなら勝てると思ってたが……結局このザマだ」
普通の話をするような口調と明るさ。……だからこそ、余計に痛ましかった。
「その、お前の仲間は他にもいたんだろ? そいつらには……」
「頼らなくて正解だったぜ、リュカの野郎がオーギュストにくっついてるんだからよ。昔から何考えてんだかよくわからねーガキだったが……ジジイ共の言うことだけはよく聞くいい子ちゃんなのは確かだ」
……レイラの、左手。爪が掌に食い込む程に、強く握られている。
「俺はオーギュストと、今ものうのうと生きてやがるあの豚野郎を許せねえ。アウラとエイムのためにも……奴らは絶対にぶっ殺さなきゃならねーんだ」
かつての仲間との絆と、それ以上に沸き立つ殺意と決意。
「俺はお前が羨ましいよ」
自然と、そんな言葉が口をついて出た。
「ハッ、なんでこの話聞いて、その感想が出るんだよ」
「俺は仲間に見捨てられたからな」
「……見捨てられた?」
「ああ。俺以外の三人は、実績を聖騎士団に買われて町を出ていった。俺は顧みられることもなく置き去りだ。……俺のサポートだって、確かにチームに貢献してたはずなのにな」
話の内容が湿っぽくなっていることに気が付き、頭から愚痴っぽさを振り払う。
「わかってるさ、俺には確かに実力がなかった。今思えば、周りにはもっと優秀な後衛なんていくらでもいた。けれども……実力を抜きにしても、アイツらは最初から俺のことなんてたまに使えるお荷物くらいにしか見ちゃいなかったさ」
どんな理由でも拾ってもらった。必死に食らいついて、追いつけるように他の何もかもを捨てて努力して。……それでも、俺は奴らの仲間ではなく、あったら便利、なくても困らない程度の道具でしかなくて。
「だから、羨ましいと思ったんだ。命を燃やせるような仲間がいるのは」
「……そうかよ」
ぽすん、とレイラが乗り出していた身を再びもたれ掛けたような音がした。
「……正直、迷っていた」
「……ハッ、何をだよ」
「この旅の終着点で人が死ぬと知っていても、アンタに協力するのが正しいことなのか」
「で?」
「正しいかどうかは知らんが、聖王都まではアンタの面倒を見てやる。……豚野郎とやらへのお礼参りには手を貸さないけどな」
「十分だ。ルクスルフトに着きさえすれば……クソ大司教をぶっ殺すのは、俺が殺る」
…………。
…………大司教?
「…………俺の聞き間違いか? 大司教って聞こえた気がするんだが」
「言ったぜ? サミュエル・クソ・ヴァレンタイン大司教ってな」
「おま、そんな大物を?!」
「大物だろうが何だろうが、アウラとエイムと俺の敵だ、ぶっ殺さなきゃ俺に明日はねェ」
「ルミエーレ教の重鎮だぞ!?」
「だからどうした!」
レイラに気圧され、ヴィンスが口を閉ざす。
「例え神だろうと太陽だろうと俺は奴を…………」
ゴスッ、と、木材と何かがぶつかり合うような音。そして、レイラの言葉の威勢のなさ。
「レイラ……?」
振り向いて、ヴィンスは絶句する。
レイラの顔色は真っ青だった。その傍らには、血まみれの黒い釘――脇腹から引き抜いた、オーギュストに打ち込まれた棒手裏剣が転がっている。
「……かはっ、あの野郎、毒まで使っていやがった……」
「何の毒だ! 解毒剤は!」
「はは、……旅に何が必要なのかも知らない俺が、そんなの知るわけないだろ……」
「クソッ!」
どうする、どうすればいい、正体不明の毒の解毒方法。
……心当たりは、一つだけあった。
「……お前、ルミエーレ教自体には恨みとかないよな!?」
「ねーけど……お前、俺を教会に連れて行く気か?」
「それ以外の方法が思いつかない!」
ややあって、レイラの返答があった。
「……いいぜ、連れてけ。クソ大司教と、クソ野郎をぶっ殺す前に、倒れるわけにはいかねぇ……」
レイラは疲弊した様子で目を閉じる。
ルクスルフトと推定現在地の間の地理を、必死に思い出す。
ダールトンでの事がすぐに伝わるようだと拙い。だが教会すらないような僻地でも駄目だ。
……ペテロ村。
二つの条件が揃う、奇跡的な廃村寸前の村。……そこにかけるしか、ヴィンスに選択肢はなかった。