俺と彼女の暗殺行-2

ガタゴト、ガタゴト、と竜車が街道を進んでいく。
昨日の出発時から変わらず、ヴィンスが御者台、レイラが荷台。
レイラは相変わらず白錫草の上で仰向けになって、目を閉じている。長い金色の髪と顔立ちと相まって、何かの絵画のようだった。……絶大な破壊力を誇る双剣やアビスシックルからもぎ取ってきた翅や鎌といった部位がすぐ横に転がっていなければ、おそらくは完璧だった。
「……よくもまあ剥き出しの剣と一緒に眠れるな」
「……剥き出しじゃねーよ」
「起きていたのか」
レイラは無言で上半身を起こし、傍らの剣を手に取り――刃の方をもう片方の手のひらに勢いよくバシッと叩きつけた。
「おい!?」
「平気だ。刃がついてねーんだよ、この剣」
ひらひらと振るレイラの手には、傷一つつけられていない。
「が、魔力を通してやればフルプレートメイルだろうが真っ二つだ」
「竜車の上ではやるなよ」
ヴィンスは昨日の、赫く輝いていた刀身を思い出す。
「……何の魔獣素材を使えばそうなるんだ?」
「何だったかな……ナンタラカンタラっていう竜のどこかだって聞いた気がするな」
「曖昧だな」
とはいえ、竜種――おそらくは火竜の類。魔獣素材の中でも最高級だ。最高ランクの冒険者なら持っていてもおかしくないクラスの代物だが……。
「……日常的に魔獣と戦ってるってわけでも無さそうなのに、なんたってその威力が必要なんだ」
「あ? 言っただろ。フルプレートメイルだろうが何だろうがまとめてぶった切るためだ」
何処からか鳥の声が聞こえた。長閑な日和だった。とてもではないが、人を殺しに行く旅程とは思えないくらいに。
「お前は……殺し屋なのか?」
「そう呼ぶやつもいるな」
レイラは事も無げに答えた。
「どうしてもぶっ殺さなきゃいけない奴が二人いて、その内の一人がルクスルフトにいる。そいつを殺そうとすれば、何処かでもうひとりが出てくる。つまりルクスルフトに向かえばどっちもぶっ殺せんだよ」
黙り込むヴィンスに構わずレイラは続ける。
「やっぱ降りるなんて言うんじゃねーぞ。そしたらお前が三人目だ」
「……わかっている」
「ならいい」
レイラは再び白錫草の上に仰向けになる。
……強制とはいえ、思ったより厄介な仕事を引き受けてしまったようだ、とヴィンスは前を向いてこっそりとため息をつく。
せめて、あそこで死んだ方がマシなような目に遭わないといいが……。
「……武器の話に戻るけどよ」
「……なんだ」
「この蟷螂野郎のパーツも俺の剣みたいになったりするのか?」
レイラの足が当たって、雑に積まれたアビスシックル素材がガシャガシャと鳴る。
「するな。専用の職人が武器の改造や防具の作成とかに使う」
「ふーん」
レイラが荷台から身を乗り出して、ヴィンスの横に顔を出す。
猫……あるいは虎を思わせる仕草だったが、ヴィンスは賢明にも何も言わずに横に詰める。
「お前の槍は改造しねーの?」
「……そんな金があるように見えるか?」
「翅売った金で鎌をくっつけてもらえばいいだけなんじゃね?」
あながち不可能なことではなかった。取得が困難な魔獣素材そのものよりも、工房での加工費はかなり安価だ。
「俺はそもそも全部売るつもりで……」
「強くなった武器でまた稼ぎゃいいだろうが。強いってのはいいぜ? 無駄に遠回りする必要がなんにも無くなる」
もっと自分が強ければ。……それはヴィンスの人生の中で、無数に思ってきたことだ。
一番の躓きである聖騎士団に入れなかった時も、それ以外も、……ほぼ毎日。
そして――これだけ良い素材が競争もなく手に入れられる機会は、恐らく二度と訪れない。
「いや、でも」
「欲しいのかいらねーのかどっちだよ」
「……欲しくないと言えば嘘になる」
「もっと素直に言え」
「………………欲しい」
「最初からそう言えばいいんだよ」
レイラがにんまりと笑う。
「簡単に言ってくれる」
ため息をつき、再び前を向いたところで……前方に何か見えることに気がつく。
薄茶色の……人工的な建造物。
「レイラ、ダールトンの町が見えた」
「あれか。……さっきも聞いたが、本当にどうしても一晩泊まる必要があるのか?」
「本当にどうしてもだ。俺の怪我を治して荷物を整えたら絶対に日が暮れる。……ダールトンの町を過ぎた辺りには特に夜行性の魔獣が多い、野宿は自殺行為だ」
「チッ、わかったよ。……ったく、ただルクスルフトに行くだけだってのに面倒が多いな」
「あんたがシンプルすぎるんだよ」
軽口を叩きながら、防壁に空いた通用門へとヴィンスは竜車を走らせた。

「大いなる主よ、慈しみの光にて汝の子羊を癒やし給え――『ホーリーキュア』!」
ルミエーレ教の神官の権杖から淡く白い光が放たれ、ヴィンスの傷口が徐々に癒えていく。
たっぷり40を数えたくらいで光は収まり、小さな部屋の中は再び薄暗がりに包まれた。
「傷はいかがですか?」
痛みは大分収まっていたが、念のためにアビスシックルに斬られた箇所に視線を落とす。
骨まで見えそうだった傷口は出血が止まり、治りきった古傷のような見た目になっていた。軽く動かし、恐る恐る触ってみても、全く問題が無さそうだった。
「大丈夫そうだ……すごいな、本当に、殆ど治っている」
「お役に立てたようでなによりです。それでは祈願料をこちらの箱に頂けますでしょうか」
少し迷って、銀貨1枚を目の前の箱に入れる。ダールトンの町の司祭に、しかも割り込みで面倒を見てもらった。俺にとっては大金でも、今回の祈願料としては安すぎるくらいの気もする。内心恐る恐る神官は静かに微笑んで会釈をするだけだった。……楽観的に解釈しておこう。
ヴィンスが外に出ると、フードを目深に被った女――レイラが、戸口のすぐ外の石にこしかけていた。そのすぐ横には、ボロ布に包まれたアビスシックル素材が無造作に置かれている。
「治ったか」
「治った。これくらい規模の町の司祭ともなるとすごいな」
「ふーん……」
レイラがちらりと教会を見る。
「何か?」
「別に。お前の祈祷料は回り回ってどこに行くのか考えてただけだ」
「そりゃ……修道士の生活費とか新しい教会とか、救貧院とかだろ」
「だといいがな」
レイラが足元の荷物をヴィンスに押し付ける。
「さっさと行くぞ。まだ色々と行くんだろ」
「……おう」
機嫌が悪い? 教会に苦手意識がある?
色々考えても、ヴィンスにはレイラの素っ気なさの理由はわからなかった。

ボロ布の中身をカウンターの上に拡げた途端、驚きの声が上がった。
「ア、アビスシックルの鎌と外骨格!? そんなレア素材見るの……しかもこんなに状態がいいなんて、生きててよかった……!」
惚けたようにヴィンスの持ち込んだ素材を眺めつ透かしつする魔獣武器加工工房の職人。
「それで、明日の朝までに加工は出来そうか?」
ヴィンスは隣のレイラをそっと見る。もしも時間がかかると言われた場合は、この町での加工は諦める必要がある。
「はい、それは勿論! これを触って弄るためならどんな条件でも喜んで呑みますとも!」
「それは大丈夫なのか……?」
とはいえ、一番大事な条件はクリアだ。
「で、金額はどうなりそうだ」
「使用する部位以外を全部買い取って、その中から加工費を頂戴して……残る金額はざっと銀貨12枚になりそうですが、よろしいでしょうか?」
予想していたよりも条件がいい。
「ああ、それで頼む。……半額は先払いで貰えるか?」
「はい、それは勿論!」
やはりこちらを見ずに銀貨が渡される。
銀貨6枚。それだけあれば服でも装備でも何でも新調出来そうだ。
「明日の朝2回目の鐘が鳴る頃には仕上がっている予定なので、それ以降ならいつでも受け取り大丈夫です頃に受け取りに来てくださいね!」
最初の挨拶以外一切俺と目を合わさなかった職人に踵を返し、工房を後にする。
「で、後はどこを巡るんだ? また何か売るのか?」
「売ったり預けたりするのは薬草問屋と加工工房で終わりだ。あとは食料や消耗品の買い出しだな。……レイラはどこか寄りたい場所は?」
「特にねーな」
「薬や予備の武器とかは」
「お前が持つんじゃねーの?」
レイラは不思議そうに首を傾げる。その腰には双剣と硬貨入りの邪魔にならない程度のポーチしかない。
「今まではどうやって旅をしてきたんだ、食料とか」
「飲まず食わずで動ける内に急いで次の町に行ってた」
「よく今までそれでやってこれたな……」
全行程が徒歩、そして恐らくは野宿。……武力の有無に依らず、相当な無茶だ。
「じゃなきゃ街道でわざと無防備に歩くかだな」
「なんでそんなことを」
「女の一人旅だと思った馬鹿がノコノコと寄ってくる」
「趣味の悪い一本釣りだな!」
ほぼ追い剥ぎの……むしろ山賊の所業だ。
通りを二人組で見回っているダールトンの町の衛兵の姿をちらりと見る。共通の赤いジャケット以外は装備も何もかも自由で、よく見れば同じ色の腕章をつけた冒険者も闊歩している。
聖騎士団とは大違いだが……領主の私兵を町の警備に充てられているというだけでも、町の財政状況が相当潤っていることが伺える。
町を出るまで、奴らとは何のトラブルも起きませんように。
「お、なんだあれ」
「羊の串焼きの屋台だな。この町は羊飼いがよく通る」
「ほー……」
「気になるなら買ってきたらどうだ」
「いや、買い食いは……」
そう言いつつも、レイラの視線は屋台から離れない。
「……食べたいのか食べたくないのかどっちだ」
「っ……一本だけ買ってくる!」
「一つくれ!」
「はいよ、一本で大銅貨一枚だ」
「大銅貨だな!」
いそいそと懐を漁るレイラの後ろから近づき、大銅貨を握った手を制する。
「な、なんだよヴィンス」
「巡礼の旅行者相手にぼったくるな。銅貨3枚の間違いだろう」
「このお姫様のお連れさんかい? 初めての人は知らないだろうけれどもね、うちの串焼きはかなりいい肉を使っていて――」
「この屋台を紹介してくれた奴は、大銅貨一枚もする高級品の屋台とは一言も言っていなかったがな」
「……はっはっは、バレちゃあ仕方ねぇなあ? お兄さんの分も合わせて銅貨5枚で売ろう!」
「い、いいのか!? ありがとうな!」
銅貨5枚を支払い、レイラはホクホク顔で二本の串焼きを受け取る。
「言い値の半分の金額で二本……ヴィンス、お前すごいな!」
「……フローレアの町の屋台の値段と大して変わらないと思っただけだ」
「だとしてもだぜ!? ぼったくろうとしてたオヤジが嫌な顔一つせずに笑顔で割り引いてくれたんだ、やっぱすげーよ!」
「……買いかぶりすぎだ。いいから冷めない内に食え」
銅貨6枚が5枚に値引かれるのが異様にスムーズだったことを考えると、本来の値段はさらに下だったのかもしれないと考えるヴィンスの横で、レイラが串焼きに齧り付く。串から一口分以上の羊肉を引き抜き、ガッガッガッと口の中に納めていく。
「うま……ッ! ヴィンス、超美味いぞこれ! お前も食え!」
「俺はいい、気に入ったなら両方食べてくれ」
そういうヴィンスに構わずに、レイラが串焼きをずいと差し出す。
「雇い主命令だ」
「……こんなところで強権を発動するな」
渋々、といった体で串焼きを受け取ったヴィンスもレイラに倣い、目を軽く見開く。
「確かに美味いな」
「だろ!? どうする、もう二本買うか!?」
「それなら別の屋台で買って食べ比べるのがいいんじゃないのか」
「いいなそれ! 行くぞヴィンス!」
「物資の買い出しが本来の目的だって忘れるなよ?!」
楽しそうに町を駆けていくレイラと、その後ろから付いていくヴィンス。
その二人の姿をひっそりと見つめる人影があることに……ヴィンスも、レイラも、その時は気がつくことはなかった。

「あークソ、結局お前みたいに上手く値引き出来なかった……」
「最後から二軒目の店は悪くなかったと思うがな」
「結局助けられたじゃねーか……」
竜車を預けていた宿屋に戻り、レイラが寝台の上に突っ伏しながらボヤく。外套はとっくに外し、壁際に引っ掛けているが、剣はレイラと一緒に寝台に転がっている。
「そんなに凹まずともまた挑戦すればいいだろ」
それには答えず、レイラは寝っ転がったまま顔だけをヴィンスの方に向ける。
「……お前、俺らのことを巡礼の旅行者とか説明してたけどよ、多いのかそういう奴って」
「都市から都市へと渡り歩く奴の中では……2割くらいじゃないのか」
「そんなもんか」
「商人でもなきゃそんなもんだ。冒険者だって、ホームにしている町からはあまり離れない」
「レイラは?」
「あ?」
「どういう名目であちこちを回っていたんだ?」
「ああ……荷物扱いだな」
「荷物?」
「幌付きの荷馬車の中に隠れておいて、出番が来たら大暴れして、仲間に紛れて逃げて……で、また荷物のフリして町を出ていく」
「それはまた……」
「お前が思ってるよりは楽しかったぜ? 強い連中とやり合うのは楽しいし、仲間もいたからな」
「仲間?」
レイラに睨まれ、ヴィンスが口を噤む。踏み入りすぎたことに気が付き、どう挽回しようかと考えていると、レイラの方が口を開いた。
「まあだから……今日みたいな、店を回ったり買い食いしたりっていうのは、楽しかったんだ。今までほとんどやったことなかったからな」
「……そうか」
足止めを食らっただけだ、と言われなかったことに、僅かながら安堵のため息をつく。
「土産だって手に入ったしな。これ、どうやって使うんだ?」
レイラの手には疑似水晶に包まれた小さめの雷石が収まっている。長い革紐がくっついていて、首から下げられるようになっている。
「正直それはお守り代わりだな。衝撃を加えると感電するから、割れるようなことはするなよ」
「俺が子供みたいに転ぶとでも思ってるのかよ。心配すんな、そんなヘマはしねーよ」
「……ま、そのためのコーティングだし大丈夫だろ。蝋燭もあんまり無駄遣い出来ない、消すぞ」
ヴィンスが蝋燭を吹き消すと、個室はあっという間に闇に包まれた。
「明日の朝、すぐに出るからな」
「わかった」
そう返事しつつも、ヴィンスの胸中からは不安が拭い去れていない。
……レイラが寝ている間に、こっそり町の中に身を隠せば。
一瞬浮かびかけた発想を、静かに没にする。
逃げ切ったと油断した瞬間に肉塊が一つ生まれるヴィジョンしか見えない。
第一、ヴィンスのほぼ唯一の商売道具がまだ工房に預けられたままだ。例え上手く逃げおおせたとしても、その先がない。
ままならないな、と、ヴィンスは最近めっきり頻度の増えたため息をついた。